歴史教育から中田敦彦の炎上を考えてみた

歴史教育の視点から中田敦彦の炎上を考えてみた


オリエンタルラジオ中田敦彦YouTube の歴史動画に誤りが多いということで炎上し ています。以下を参照「責任持った発信が大事」と話す中田敦彦YouTube でフェイクを 流す問題点」https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20200115-00158914/ (最終閲 覧日:2020 年 1 月 18 日)

 

しかし、誤りが多いだけならこれほど炎上することはなかったでしょう。この問題が、炎上し続けているのは、「歴史を専門外にするものが、語る歴史には、どの程度まで誤りが許 容されるのか」「入門で入り口を目的にしている動画で、どれだけ誤ることが許されるのか」 「歴史家以外は歴史を語ることが許されないのか」など広範なテーマに及ぶからだと考えています。また、視聴者が、中田氏を擁護し、それに対する反論という形で炎上が広がっています。


私自身は、中田氏の誤りを指摘しません。歴史を専門とする人間が、多大な誤りを指摘す るためにエネルギーを費やしても、相手が考えを変えることは稀だからです。「誤った」歴史を語ることはコストが低く、逆に誤りを指摘するコストは高い。この非対称性のために歴 史修正主義者に対して歴史家は苦戦を強いられてきました。(スズキ 2014)

 

このため、「正しい」知識、「誤った」知識という視点ではなく、別の視点から考えることが必要です。私自身は、歴史を専門とする教員です。教育の視点から歴史に対する「態度」 とそれに対する「評価」という視点から考えてみます。


「態度」とは、「ある物事や状況を選ぼう/避けようとする気持ち」と定義することができ ます。しかし、定義にあるようにあくまでも「気持ち」です。「気持ち」は目に見えないため評価することは難しいです。このため、その態度を持つ人が、選ぶと考えられる行動を観察することで評価を行います。例えば、礼儀正しい態度という場合、心でどう思っているかはひとまず置いておいて、あいさつや言葉遣いなどの行動に現れているなら評価することが出来ます。これを操作的定義といいます。(向後 2017)
これを利用し、「歴史的な正しさを求めることができる態度」を持つ人がおこなう行動を考えてみて、それに照らし合わして中田の動画、視聴者、批判者を評価してみましょう。

 


※「歴史的な正しさを求めることができる」としたのは、今回の炎上が「正しさ」「誤り」 を問題としているからです。また、「歴史的な正しさ」とは何でしょうか?ここで、物語り 論や実在論の議論を参照することは、筆者の能力的に限界があるので、「歴史家コミュニティが、一般に正しいと共有している知識」とでもしておきましょう。こうしておけば、「歴 史には諸説あるから、何も誤りとされることはない」という反論をされることはないでしょ う。

 

 

さて、「評価」には、いろいろな方法があります。たとえば、運転免許のように、運転能 力の有無を評価したい場合は、「合格・不合格」だけで十分です。逆に、大学受験のように、 序列化をしたいときは、100点満点のように細分化する必要があるでしょう。ここでは、 とりあいず、思いつくだけ出してみましょう。

 

A:歴史的知識について、自身で信頼性の評価を行いながら文献を参照する

B:歴史的知識について、信頼性があると考えられる複数の文献を参照する

C:歴史的知識について、信頼性があると考えられる文献を1点参照する

D:歴史的知識について、信頼性を考慮せずに複数の文献を参照する

E:歴史的知識について、信頼性を考慮せずに文献を1点参照する

F:歴史的知識について、信頼性を考慮せずに文献を断片的に参照する

G:歴史的知識について、アニメ・ゲーム・歴史小説などのフィクション作品を参照する

H:歴史的知識について、何ら参照しない

 

 

※G については、学習参考書的な漫画を除いて考えています。また、良質な時代考証を行っ ているものもありますが、受容側からは判断ができないので低評価にしました。

 

 

8段階評価にしてみました。便宜的な定義なのでもっと良い評価基準もあると思います。 評価基準を設けることで議論がわかりやすくなります。たとえば、次のように評価すことができるでしょう。低評価から見ていきましょう。

F 評価:中田敦彦の動画を断片的に見た
E 評価:中田敦彦の動画を最後まで見たが、それ以外のコンテンツに触れていない

D 評価:中田敦彦の動画を見て興味を持って、該当する時代の Wikipedia を読んだ

C 評価:中田敦彦の動画を見て、高校時代の教科書を読みなおした

B 評価:中田敦彦の動画を見て、高校時代の教科書や新書・概説書も読んだ

 


中田氏は、自身の動画を各分野の「入口」だと考えています。ですから、中田の動画の目的 は、E・F 態度を持つ人々を C・D ぐらいに育てることだといえるでしょう。

中田氏自身の態度はどうしょうか。中田氏の参考文献を見てみると池上彰など信頼性が「微妙」なものが多く、複数の文献を使用することもあることから D 評価的な態度だと言えるでしょう。ここに批判者と中田氏のギャップがあります。

 

中田敦彦YouTube 大学で紹介したお勧め本 18 冊紹介[歴史/偉人伝] http://mystereoman.com/orirajinakata/ (最終閲覧日 2020 年 1 月 18 日)

 

 

中田を批判する人々はどのように考えているのでしょうか? 高校の教科書レベルの誤りが散見するという批判が多くありました。高校の教科書は、文科省の検定や大学入試にも 活用されているため信頼性があるという感覚は共有されています。
一方で、批判者も複数の教科書を参照することは求めていないでしょう。山川出版が、「大航海時代」と書いているところを東京書籍は、「大交易時代」と表記しています。仮に、中田が、「大航海時代」という語のみを使用したとしても「なぜ、表記が複数あるのを伝えな いのか?」とはならないはずです。
ここから分かるのは、批判者が中田に求めているレベルは、C 評価(歴史的知識について、 信頼性があると考えられる文献を1点参照する)だと言えます。

 


まとめ
1中田氏のメインターゲットは、E・F 評価層。
2中田氏自身の歴史への態度は、D 評価。

3炎上しない程度の知識水準を維持するには、発信者には C 評価をとるぐらいの態度が身 についている必要がある。

 

感想

 

私自身、中田氏の誤りには問題があると思いつつも、受験を意識した歴史ではないが、網羅性があり、政治的な視点からの語りではない、大衆の知的欲求を満たす歴史の語りとして 評価しています。「いやいや、中田動画で知的欲求が満たされるのはダメだろう」という批判あると思います。しかし、態度は段階的に身についていくものです。教員としては、一日 で A 評価態度に育てられると豪語することはできません。
知識の誤りを指摘するのでなく、8 段階の態度の問題とすることで自身がより賢くなるた めには、どうすればいいのかという道筋を示すことはできたでしょう。8 段階評価の中でどの態度かを自身で評価し、次の段階に進むためにはどうすればいいのかを考える一助になればと思います。

 

 

参考文献
テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない メディア・記憶・歴史』岩波書店、2014.

向後千春『上手な教え方の教科書 入門インストラクションデザイン』技術評論社、201 7.