歴史学習で何を学ぶべきか

マルク・フェロー『監視下の歴史』新評論、1987年.

 

この本は、アナール系の歴史学者が、制度化された歴史、反発する歴史、自立化した歴史について語っている。アナール系が自立化した歴史を志向していることが分かる。

 

本書の巻末資料に「学習カリキュラムに関するメモ」として歴史の分析すべき問題と事件の選択についねほ基準を示している。備忘録としてここに引用しておきたい。

 

「一 事件が起こった時期に、極めて重要な事件と受け取られたこと。住民が自分に大いに関係があると感じたこと。

二 大事件として、諸社会の記録に保存されていること。

三 国家や社会の歴史の寿命に変化をもたらしたこと。だから長期にわたる影響を与えた。

四 事件の意味あいが多様な解釈を生み、今もって論争されていること。

五   影響が事件の起こった場所にとどまらないこと。

六  事件に刺激されて、小説、歴史書、英語などの作品が多数生まれ、事件がまだ生き続けていること」p232

 

これを歴史教育の参考になると思う。論争性などを考えるのに使える。ただ、気になるのは本書がジュネーブのアルティショー盗難事件という超ミクロな事例を扱うことによって、現在と過去の比較をして歴史教育の手法として示しているが、この基準からはアルティショー盗難事件は外れる。この辺、どうなんだろうか

反証しやすい「本質的な問い」が大事なのではなかろうか

渡部竜也『社会科授業づくりの理論と方法』で後付けで「本質的な問い」を設定する提案がなされてます。

 

渡部竜也は、「「本質的な問い」とは、はっきりとした回答はないオープンエンドな問いで、かつ主権者として、市民として、私たちが社会で生きていくために、考えていかなければならないような性質の問い」。(前掲書 p124)と定義していて、特に異論はないんです。

 

 ただ、前半部分でさんざん森分を引用しながら科学哲学を援用してきたのに、「本質的な問い」では科学哲学の議論がなされていないことに物足りなさを感じます。

 

 本書の「科学的探求学習」を扱った章のベースには、ヘンペルなどの科学哲学があります。歴史(社会科)を科学哲学的に考えていこうとする森分の議論が、私は結構好きだったりします。

 史学史から考えると、マックス・ウェーバーの時代には、「歴史は、芸術か? 科学か?」という論争があり、それを西南ドイツ学派のヴィンデルヴァンドやリッケルトが、科学を法則定立的な科学と個性記述的な科学に分けて、歴史学は後者の科学なんですよと言ってくれたおかげで、歴史は科学だと自信を持つことができたわけです。こういうの科学二元論と言います。

 ところが、科学二元論って気持ち悪いですよね。「自然科学とは別の科学の在り方なんですよー」と言っても、「それ科学なの?」ってなります。やっぱり、統一的に語りたい。重要になるのがヘンペル。彼は、「科学的説明とは何か?」を研究した哲学者で「演繹的・法則的モデル」などの説明モデルを提案しています。「推論による説明」などとも呼ばれます。

 

 ヘンペルによれば説明とは、以下の4つの条件を満たす推論のことをいいます

 

①その推論は論理的に妥当な演繹である。

②説明甲は少なくとも一つの一般法則を含んでおり、被説明項を導き出すものではなくてはならない。

③説明項は経験的に確かめられることが可能なものでなくてはならない

④説明項に含まれる文は真でなければならない。 

戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる』p103

 

 一般法則と前提条件(個別事実)から被説明項が演繹されるのが科学的説明だとされます。ただ、歴史に当てはめたとき自然科学のような説明ができるわけではないので、余白をもった「説明のスケッチ」となります。この「説明のスケッチ」を重視したのが森分孝治及び、それを発展させた渡部竜也になります。

 

で、このあたりに「本質的な問い」の難しさがあると思うんです。

野家啓一『歴史を哲学する 七日間の集中講義』を参照すると次の記述があります。

 

「実際、ヘンペルといえども、この演繹モデルが字義通りに具体的な歴史的説明に適用できると考えたわけではありません。歴史的説明においては、自然科学のように明示的に「法則」を取り出せることはむしろ稀です。第一の理由は、その法則が余りにも自明だからです。たとえば、「一四世紀半ばにペストが蔓延することによって、ヨーロッパの人口は激減した」という説明は、明らかに「ペスト菌に感染した人間は死亡する可能性が高い」という統計法則を前提していますが、このような法則に言及する歴史家はまずおりません。」

 

この指摘を考えるなら「問いの構造図」で導き出された教訓や法則が、自明すぎて「本質的な問い」が機能しない可能性があります。

 

 渡部竜也は、『コモングッドのための歴史教育』を引いて、導き出された教訓を「議論」することの重要性を示しています。でも、「右足を出して、左足を出すと歩ける。あたりまえ体操」では議論になりません。

 この点は渡部竜也『社会科授業づくりの理論と方法』では検討されていませんでいたが、この記事書いてる途中で森分が、『社会科授業構成の理論と方法』p102で「説明的スケッチ」と「統計的説明」「演繹的説明」を分けて、演繹的説明に対して「たとえば、「シーザーはなぜ死ななければならなかったのか」と問われた場合、「刃で胸を刺されたからである」というように、決定論的法則を用いて説明できるが、それは歴史学や社会科学で求められる意味のある説明ではない」と一刀両断していました。

 

 「本質的な問い」を議論や吟味する授業で民主主義的な資質を養うのであれば、今回歴史から導き出された教訓は、現代に活用できないと結論付けてもいいはずです。そう考えるのであればポパー反証可能性を意識したら作りやすくなるはずです。ポパーは、科学の営みを真理の探究ではなく、知識を反証することに求めた哲学者です。

 

(A)「水は摂氏100度で沸騰する」という科学的な理論があります。正しいでしょうか?

正確には正しくありません。富士山の山頂でこの理論をテストすれば100度以下で沸騰してしまいます。

そうなると、「水は摂氏100度で沸騰する」理論を修正する必要があります。どのうように修正しますか?このとき、(B)「水は海抜0mでは100度で沸騰する」と修正するのはよくありません。

 

(A)「水は摂氏100度で沸騰する」

(B)「水は海抜0mでは100度で沸騰する」

 

を比べるとどちらの方が反証しやすいでしょうか?

明らかに(A)の方が反証しやすいです。(B)で修正しても新しいテスト可能性を生みません。これを「免疫化の戦略」といい、理論を修正する場合は、より大胆で反証しやすい理論を求めるべきとされています。*1 

 

 「本質的な問い」でもより反証されやすい問いを提示することで、議論が活発化するのではないでしょうか。歴史を学習する中で、すでにたくさんの証拠や根拠を生徒が持っていて歴史的教訓を肯定しやすい状況です。それを反証しやすくすることで現代的な事例を自分たちで引っ張りだし、関連付ける契機になるのではないでしょうか。

 

【参考文献】

森分孝治『社会科授業構成の理論と方法』

渡部竜也『社会科授業づくりの理論と方法』

西脇与作『科学哲学』

野家啓一『歴史を哲学する 七日間の集中講義』

戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる』

*1:参考文献:西脇与作『科学哲学』p150-151

歴史教育から中田敦彦の炎上を考えてみた

歴史教育の視点から中田敦彦の炎上を考えてみた


オリエンタルラジオ中田敦彦YouTube の歴史動画に誤りが多いということで炎上し ています。以下を参照「責任持った発信が大事」と話す中田敦彦YouTube でフェイクを 流す問題点」https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20200115-00158914/ (最終閲 覧日:2020 年 1 月 18 日)

 

しかし、誤りが多いだけならこれほど炎上することはなかったでしょう。この問題が、炎上し続けているのは、「歴史を専門外にするものが、語る歴史には、どの程度まで誤りが許 容されるのか」「入門で入り口を目的にしている動画で、どれだけ誤ることが許されるのか」 「歴史家以外は歴史を語ることが許されないのか」など広範なテーマに及ぶからだと考えています。また、視聴者が、中田氏を擁護し、それに対する反論という形で炎上が広がっています。


私自身は、中田氏の誤りを指摘しません。歴史を専門とする人間が、多大な誤りを指摘す るためにエネルギーを費やしても、相手が考えを変えることは稀だからです。「誤った」歴史を語ることはコストが低く、逆に誤りを指摘するコストは高い。この非対称性のために歴 史修正主義者に対して歴史家は苦戦を強いられてきました。(スズキ 2014)

 

このため、「正しい」知識、「誤った」知識という視点ではなく、別の視点から考えることが必要です。私自身は、歴史を専門とする教員です。教育の視点から歴史に対する「態度」 とそれに対する「評価」という視点から考えてみます。


「態度」とは、「ある物事や状況を選ぼう/避けようとする気持ち」と定義することができ ます。しかし、定義にあるようにあくまでも「気持ち」です。「気持ち」は目に見えないため評価することは難しいです。このため、その態度を持つ人が、選ぶと考えられる行動を観察することで評価を行います。例えば、礼儀正しい態度という場合、心でどう思っているかはひとまず置いておいて、あいさつや言葉遣いなどの行動に現れているなら評価することが出来ます。これを操作的定義といいます。(向後 2017)
これを利用し、「歴史的な正しさを求めることができる態度」を持つ人がおこなう行動を考えてみて、それに照らし合わして中田の動画、視聴者、批判者を評価してみましょう。

 


※「歴史的な正しさを求めることができる」としたのは、今回の炎上が「正しさ」「誤り」 を問題としているからです。また、「歴史的な正しさ」とは何でしょうか?ここで、物語り 論や実在論の議論を参照することは、筆者の能力的に限界があるので、「歴史家コミュニティが、一般に正しいと共有している知識」とでもしておきましょう。こうしておけば、「歴 史には諸説あるから、何も誤りとされることはない」という反論をされることはないでしょ う。

 

 

さて、「評価」には、いろいろな方法があります。たとえば、運転免許のように、運転能 力の有無を評価したい場合は、「合格・不合格」だけで十分です。逆に、大学受験のように、 序列化をしたいときは、100点満点のように細分化する必要があるでしょう。ここでは、 とりあいず、思いつくだけ出してみましょう。

 

A:歴史的知識について、自身で信頼性の評価を行いながら文献を参照する

B:歴史的知識について、信頼性があると考えられる複数の文献を参照する

C:歴史的知識について、信頼性があると考えられる文献を1点参照する

D:歴史的知識について、信頼性を考慮せずに複数の文献を参照する

E:歴史的知識について、信頼性を考慮せずに文献を1点参照する

F:歴史的知識について、信頼性を考慮せずに文献を断片的に参照する

G:歴史的知識について、アニメ・ゲーム・歴史小説などのフィクション作品を参照する

H:歴史的知識について、何ら参照しない

 

 

※G については、学習参考書的な漫画を除いて考えています。また、良質な時代考証を行っ ているものもありますが、受容側からは判断ができないので低評価にしました。

 

 

8段階評価にしてみました。便宜的な定義なのでもっと良い評価基準もあると思います。 評価基準を設けることで議論がわかりやすくなります。たとえば、次のように評価すことができるでしょう。低評価から見ていきましょう。

F 評価:中田敦彦の動画を断片的に見た
E 評価:中田敦彦の動画を最後まで見たが、それ以外のコンテンツに触れていない

D 評価:中田敦彦の動画を見て興味を持って、該当する時代の Wikipedia を読んだ

C 評価:中田敦彦の動画を見て、高校時代の教科書を読みなおした

B 評価:中田敦彦の動画を見て、高校時代の教科書や新書・概説書も読んだ

 


中田氏は、自身の動画を各分野の「入口」だと考えています。ですから、中田の動画の目的 は、E・F 態度を持つ人々を C・D ぐらいに育てることだといえるでしょう。

中田氏自身の態度はどうしょうか。中田氏の参考文献を見てみると池上彰など信頼性が「微妙」なものが多く、複数の文献を使用することもあることから D 評価的な態度だと言えるでしょう。ここに批判者と中田氏のギャップがあります。

 

中田敦彦YouTube 大学で紹介したお勧め本 18 冊紹介[歴史/偉人伝] http://mystereoman.com/orirajinakata/ (最終閲覧日 2020 年 1 月 18 日)

 

 

中田を批判する人々はどのように考えているのでしょうか? 高校の教科書レベルの誤りが散見するという批判が多くありました。高校の教科書は、文科省の検定や大学入試にも 活用されているため信頼性があるという感覚は共有されています。
一方で、批判者も複数の教科書を参照することは求めていないでしょう。山川出版が、「大航海時代」と書いているところを東京書籍は、「大交易時代」と表記しています。仮に、中田が、「大航海時代」という語のみを使用したとしても「なぜ、表記が複数あるのを伝えな いのか?」とはならないはずです。
ここから分かるのは、批判者が中田に求めているレベルは、C 評価(歴史的知識について、 信頼性があると考えられる文献を1点参照する)だと言えます。

 


まとめ
1中田氏のメインターゲットは、E・F 評価層。
2中田氏自身の歴史への態度は、D 評価。

3炎上しない程度の知識水準を維持するには、発信者には C 評価をとるぐらいの態度が身 についている必要がある。

 

感想

 

私自身、中田氏の誤りには問題があると思いつつも、受験を意識した歴史ではないが、網羅性があり、政治的な視点からの語りではない、大衆の知的欲求を満たす歴史の語りとして 評価しています。「いやいや、中田動画で知的欲求が満たされるのはダメだろう」という批判あると思います。しかし、態度は段階的に身についていくものです。教員としては、一日 で A 評価態度に育てられると豪語することはできません。
知識の誤りを指摘するのでなく、8 段階の態度の問題とすることで自身がより賢くなるた めには、どうすればいいのかという道筋を示すことはできたでしょう。8 段階評価の中でどの態度かを自身で評価し、次の段階に進むためにはどうすればいいのかを考える一助になればと思います。

 

 

参考文献
テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない メディア・記憶・歴史』岩波書店、2014.

向後千春『上手な教え方の教科書 入門インストラクションデザイン』技術評論社、201 7.

世界史的知識を活用して現代を理解する問題

問1 :現在でも憲法で「国王は、アミール・アル=ムーミニーン(※カリフのこと)であり、国民の最高の代表者であり、国民の統合の象徴であり、国家の持続と永続を保障する者である。」と定めている国として正しいものを記号で答えよ。

 

(ア)トルコ  (イ)モロッコ   (ウ)イラン (エ)イスラエル

 

 

世界史の業界では、カリフ制はトルコ共和国により廃止されたと理解されている。もちろん正しい。しかし、2014年6月にISのバグダディがカリフ制の復活を宣言するなど、カリフは、現代的な問題です。カリフという言葉を現代的に感じて欲しいと思い作問。もちろん、現代モロッコの政治体制は、教科書の範囲外です。そのため教科書範囲内の知識を活用して消去法で解いてもらうしかありません。(ア)(ウ)は、共に建国の経緯を考えると君主はいません。イスラエルも君主はいませんし、イスラームの称号を使うわけがありません。もっとカリフについて焦点化させたいですね。ということで第2問。

 

 

 

問2:2014年6月29日(ヒジュラ暦 1435年9月1日)にスンニ派過激派組織「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」が、指導者のアブー・バクル・バグダディをカリフと奉じるイスラム国(IS)の樹立を宣言した。

 

(1)2014年6月29日に宣言したのは、この日がムスリムにとって特別な日だったからだと考えられれる。なぜ、この日に宣言したのか説明しなさい。

(2)指導者のアブ・バクル・バグダディは、本名ではない。本名は、イブラーヒーム・ブン・アワドである。カリフ制を再興したとする組織の指導者が、「アブ・バクル」を名乗る意味を説明しなさい。

 

 

  現代のカリフを焦点化して作問してみました。ISの建国宣言は、今、思い出してもインパクトがありましたね。今日はラマダーンだと思って目覚めたら、イラクでカリフ制が復活してるわけですから。生徒も普段からヒジュラ暦を意識して生きて欲しいので、ラマダーン1日は絶対に生徒に伝えています。

 

 (1)は、もちろんラマダーン断食月・斎戒月)の初日でムスリムの宗教的感情が高まる日です。ヒジュラ暦併記で気がついて欲しい。(2)は、初代正統カリフの名前です。アブ・バクル・アル・バグダディ・アル・フッセイニ・アル・クレシとフルに名前を出すと混乱するので思い出しませんでしたが、「クレシ」の部分が「クライシュ族の血を引く」ことを示しています。本当に引いているかは分かりませんが、カリフの要件であるクライシュ族の出自を主張しているわけです。

 

   ただ、作問して分かりましたがイスラーム=テロのイメージを助長しそうな問題で使う気にはなれません。歴史的知識を活用して現代を理解する課題なんですけどね。

 

【参考文献】

池内恵イスラーム国の衝撃』

中田考『カリフ制再興』

ロッコ憲法

 

 

サザエさんを世界史の資料問題にしてみた

新聞で作問化したい記事があったので作ってみました。

 

この4コマ漫画は、朝日新聞で連載されていた「サザエさん」である。下の漫画の内容として正しいものを記号で答えよ

 

f:id:tarikh:20190316151615j:image

 

(ア)この漫画は、掲載5日前に起こったホーチミンによるクーデタを念頭に書かれた。彼は、ジョンソン政権の援助の下にクーデタを成功させた

(イ)この漫画は、掲載5日前に起こった南ベトナム解放民族戦線によるテト攻勢を念頭に書かれた。この結果、ニクソン政権は、ベトナムからの撤退を決めた

(ウ)この漫画は、掲載5日前に起こったバオ=ダイの即位を念頭に書かれた。この結果、アメリカの支援を受けたジエム政権が成立した

(エ)この漫画は、掲載5日前に起こった反ジエムの軍部によるクーデタを念頭に書かれた。このクーデタをケネディ政権は認めた

 

  この問題を解くためには、「出典」の年代を確認して、各選択肢の正誤を検討するという過程をとります。が、ダメ問題ですね。作問して分かりましたが、わざわざ漫画を提示した理由が見えませんね。「出典への意識」を問いたい場合には使えるかもしれませんが、もっと資料を活用した問題にしたい。知識レベルも高めなのでレベルも抑えて新しく作問。

 

 

下の4コマ漫画は、朝日新聞で連載されていた「サザエさん」である。下の漫画の内容として正しいものを記号で答えよ

 

f:id:tarikh:20190316152139j:image

 

(ア)この漫画は、掲載5日前におきた反ジエムの軍部のクーデタを念頭に書かれた。ケネディ政権がジエムを支持したためクーデタは失敗した

(イ)この漫画は、掲載5日前におきた反ジエムの軍部のクーデタを念頭に書かれた。ケネディ政権がクーデタを支持したためジエム政権は崩壊した

(ウ)この漫画は、掲載5日前におきた反ジエムの軍部のクーデタを念頭に書かれた。ニクソン政権がジエムを支持したためクーデタは失敗した

(エ)この漫画は、掲載5日前におきた反ジエムの軍部のクーデタを念頭に書かれた。ニクソン政権がクーデタを支持したためジエム政権は崩壊した

 

 

生徒の解答過程は、2つの経路が考えられます。

 

 (1)生徒がジエムの知識を習得している場合  

 (2)生徒がジエムの知識を習得していない場合

 

 

(1)の場合は、シンプルです。選択肢を検討するだけで解くことができます。史実としては、1つしかないので、まったく資料をみなくても解くことができます。この場合は、ただ簡単な問題です。

 

(2)の場合は、資料の読解を必要とし次のような過程を経ると考えられます。 

「夫が妻にクーデタを行ったが、妻は冷静に対処してクーデタは失敗した」と漫画のストーリーを理解する

  ↓

妻の「南ベトナムのようにゃいかないのよ」というセリフから、漫画の念頭に置かれたクーデタは、成功したと理解する。選択肢(ア)・(ウ)は、誤りと判断。

 ↓

出典で1963年を確認。冷戦史の基本であるアメリカ大統領の年代把握です。1963年の大統領がケネディニクソンかを判断します。ベトナム戦争が本格化したジョンソン政権の北爆の1965年です。基本事項です。その前だと分かるので答えは(イ)

 

この経路を取った場合、必要な知識は、ケネディの在位期間だけです。

(1)の経路を取れない生徒が多い場合には、この問題は、資料読解と知識を活用したものになります。私としては、センター試験ぐらいのレベルで作れたのかなと思っています。今回の作問では、出典の年代を明示する方向で考えました。漫画・風刺画が書かれた年代を問う問題もありえますが、南ベトナムは、他のクーデタもたくさんあって作りにくかったです。他にこんな風に出題できるのではないかということがありましたら、是非とも教えていただきたいです。

  新テストでは、この方向性の問題が出題されると思うので、出題スキルを高めていきたいです。

 

吉川幸男「歴史授業のための「問い」の設定をめぐる視点の構造一教材研究から発問構成までの教 師の仕事を手がかりに一」で教員の教材研究過程が公開されることは少ないとあったので、作問しながら書いてみました。

 

引用文献

小北清人サザエさんをさがして」『朝日新聞Be』2019年3月16日朝刊

茂木誠『経済は世界史から学べ』ダイヤモンド社、2013

本書は、経済を世界史から学べという観点から「おカネ」「貿易」「金融」「財政」を解説している本

印象としては、政治経済の内容を説明するために、歴史的な経緯や例を用いるというもの。世界史の授業よりも政治経済の授業に役立つ印象でした。内容そのものは、高校の教科書に載っていることが多いですが、構成や表現、視点が参考になります。

 

たとえば、田中角栄の列島改造論の説明が上手かった。

田中角栄はインフレ時にこれを行った点が違います。結果、財政は悪化し、インフレを加速させてしまいました。糖尿病の患者が、大食い競争に参加したようなものです」(p213)

 

こういう表現は、予備校講師や学校の先生から学ぶのがいいですね。構成や例示が上手いですから。たとえば、話題となったムンディー先生こと山崎圭一先生の『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』も年代の省略や構成に工夫がある本です。

 著者から何を学ぶのかを自覚的に教材研究をおこなうことが大事。

   もちろん、それらの例示が正しいものなのかの判断は重要。

旅行サイトを世界史の資料問題にしてみた

次のインターネットのページを見て最も関係深いものを記号で答えよ

①主食の作物に病気が広がった結果、アメリカへの移民が増加した

第二次世界大戦中の民族・人種的迫害の結果、アメリカへの移民が増加した

③砂糖やタバコの生産を行わせるために、アメリカで奴隷の需要が高まり移民が増加した

④国教会を強制する国王の迫害を避けるために、ピューリタンアメリカへの移民が増加した

 

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   その国にとって重要な歴史を記憶するために博物館が作られることがあります。世界各地には、革命や偉人・虐殺の博物館が存在しています。たとえば、中国の九・一八歴史博物館は、柳条湖事件。トルコの独立戦争博物館は、独立戦争。日本だと鹿児島の知覧特攻平和会館などが分かりやすい。変わり種だと「ノーモア関ヶ原じゃ」と叫ぶ武田信玄が有名な関ヶ原ウォーランドとか。(信玄、関ヶ原前に死んでるじゃん)

   旅行サイトには、このような博物館の情報が掲載されていることが多く世界史の教材に使用できないかと思い試しに作ってみました。旅行サイトの情報を読むというのは、生徒にとって分かりやすい「世界史を学ぶ理由」になります。実際、私は、生徒に「なぜ世界史を学ぶのか」と尋ねると旅行という答えが返ってくることがあります。特に修学旅行前や家族旅行前に顕著。定期試験にこのような問題を組み込むことで、生徒と現実と歴史の授業を近づけられるのかなという思いです。このような意図からジーニージョンストン号の外観を使用してリード文で施設の説明をするような形ではなく、旅行サイトのスクリーンショットをそのまま使用する形にしました。

 

  今回の問題。ジーニージョンストン号を知る生徒は、皆無でしょう。しかし、自分の必要な情報を読み解く力は、資質・能力として重要です。サイト内からアイルランドを読み込み、アイルランドにとって記憶すべき飢餓とは何かを考え、「ジャガイモ飢饉」を導き出して答える問題です。正解は、1番。 

 

思いつきで作っただけなので、実践予定も出題予定もありません。こうしたらどうかなどのご意見・ご批判いただけたら幸いです。

 

 

【参考】

https://4travel.jp/overseas/area/europe/ireland/dublin/kankospot/10512839/travelogue/